2014年9月12日
盛岡市議会9月議会
一般質問
1891(明治24)年から1922(大正11)年まで存在した旧外山御料牧場について質問を申し上げます。
御料牧場は、皇室用の用に供する家畜の飼料・農畜産物の生産とそれに付随する事業を行うところで,戦前はこの外山のほかに成田市三里塚、北海道の新冠に御料牧場が存在しており、現在は国内で1か所栃木県に存在をしております。
明治期、先進国との国力の差を痛感した明治政府は衣食住の近代生活文化の上で畜産物が利用されていると分析、欧米並みの国力を持つために畜産の振興が必要と認識します。そこで良質な牧草地であること、隔離され伝染病の心配がないこと等から外山の牧場を買い上げる形で明治24年外山御料牧場を開設いたしました。
しかし、行政改革で大正11年には廃止をされ県営に移管、その後機能を移転し現況は何も残っていないことや歴代の住民が守秘義務を果たしたことから地域住民もよくわからないままとなっておりました。熱意ある研究者による往時の資料の発掘や関係者への聞き取りだけでは、御料牧場関係の資料が乏しく盛岡での情報収集には限界があるとされておりました。
ここで、我が会派では、この旧外山御料牧場について調査を行うために宮内庁を行政視察しました。栃木県高根沢町には現在唯一の御料牧場があります。この御料牧場の訪問では施設見学を行いながら、この運営について往時を偲び、また、千代田区の宮内庁では、特定歴史公文書利用の手続きを取った上で外山御料牧場の資料を拝見しました。宮内庁には、現在の盛岡にはない明治期から大正期の外山御料牧場の地図や関係者の氏名、日誌などがそろっていたところです。
現在の御料牧場の牧場長は厨川小学校に在籍経験があることや盛岡農業高校卒業生が6名働いていることなど盛岡との御縁を感じたところですし、千代田区の宮内庁書陵部では、盛岡では不明であった資料が保管されており、時間をかけて資料を探れば更に発掘ができると確信を得たところです。これまでも地域住民らが収集してきた御料牧場について、現在盛岡市において外山御料牧場についての現状はどのように把握をされているものでしょうか。
ところで外山御料牧場の跡地、外山字蛇塚には、案内板などは一切無い状況であり私は寂しい限りであると感じております。
この地に外山御料牧場を示す看板の設置を提案したく思いますが如何でしょうか。
また、この地は外山自治会が6月にわらび畑として開放しておりますが、地元の方より草刈りした際に、建物の跡や遺物が多数出ていると聞いております。大正時代まであった建物は埋蔵文化財としての発掘となるのか、それとも、ただの調査になるのかを含め遺構の調査や建物の往時の建物の配置図を取り寄せた形での概ねの場所の調査はできるものでしょうかお尋ねをいたします。
この外山御料牧場関連の資料の活用についてお尋ねをいたします。
盛岡市玉山村新市建設計画に基づき現在、巻堀にある歴史民俗資料館を移設する方向です。
ここには、玉山地区の歴史民俗資料の展示がされると思いますが、是非外山御料牧場や外山地区が明治初期からいち早く西洋式の文化や食生活を取り入れた先進地であったことの記述や展示を頂きたいものです。
外山御料牧場長(新山荘輔そうすけ)の東京在住のお孫さまと盛岡市東京事務所でお会いをした際には、明治期の宮内省から発行された第一級の資料が自宅にあるそうですが、保管が確実であれば盛岡市に寄贈(貸与)する意向を示されております。
また、高根沢の御料牧場で飼育されている馬には全て血統書がありました。どの馬をかけあわせて出来たのかが、全て把握され血統をさかのぼることも可能との説明を飼育員からいただいたところです。
馬事文化を語る際、特に岩手競馬に出走する馬は、血統をたどり、外山御料牧場で飼育されていた競走馬については出走する際に公表をすることや、優勝した競走馬で外山御料牧場に由来する競走馬を新「歴史民俗資料館」で展示して、競馬ファンなどコアな客層をターゲットにした常設展示を行い他の集客施設との差別化を図ることはできないものでしょうか。
下総御料牧場記念館では、宮内庁から「お召し馬車」が貸借されておりますが、玉山の歴史民俗資料館でも同様に貸借頂き、展示の目玉とされてみては如何でしょうか。
続いて交通政策についてお尋ねをいたします。
まず、はじめに、山田線(盛岡~宮古間)の現状と今後についてお尋ねをいたします。
昨今のJRローカル線の維持は危機的な状況にあるといえるのではないでしょうか。
今年4月1日JR岩泉線が廃止されました。2010年7月31日に発生した土砂崩れによる安全対策の確保、また、復旧費ならびに鉄路維持における沿線人口や利用状態を勘案して、運行休止を経て廃止に至ったことは周知のことであります。
このほか、JR東日本管内では、福島県の只見線が2011年7月の福島・新潟豪雨災害による土砂崩れで現在も会津川口~只見間が不通であり、存廃に向けた話しあいを地元関係者と続けており、この秋にも方向性が打ち出されるという状況です。ただ地元の感触では、鉄道による復旧には高いハードルがあるとの認識であり、予断を許さない状況が続いております。3.11津波被害では大船渡線や気仙沼線では鉄道での復旧ではなく、BRT導入が選択をされております。
JR東日本が2012年10月30日に作成した会社案内「グループ経営構想Vファイブ~限りなき前進~」の地方路線の運営効率化の項では次の記載がされております。
~「地方路線の運営効率化に継続して取り組むとともに、ご利用が少なく鉄道事業の特性が発揮できない路線については、当社発足後の利用実態を十分検証したうえで、鉄道以外の輸送モードの導入も含め、地域の皆さまとともに交通手段の確保に努めます」~
とはっきり記載されております。つまり、一定基準以下の鉄道については、現状の動きを総合すると直接的な廃止やバス転換は政治問題化するので進めないものの、ひとたび天災などが発生した際は、この方針を一定以下の輸送量のローカル線には適応するという考え方のように読みとれるものです。
山田線の輸送量については、現在でも定期直通列車は一日4往復であり、鉄道事業の特性が発揮できていないと事業者側から判断されているのではないでしょうか? 事実4往復において現在の利用者数はどのような状況なのでしょうか。これを踏まえたうえで市長は山田線の盛岡~宮古間については、どのように認識をしているものでしょうか。
先日「復興支援道路」に位置付けられる国道106線宮古盛岡横断道路の高規格道路部分の着工式がありました。2020年には全線開通をするとされ難所とされてきた盛岡市飛鳥からのヘアピンーブを新区界トンネルで改良を行うもの。盛岡から宮古は約1時間半で結ばれます。現状の道路側の改良に対し、鉄道側では特段目立った対抗策を講じるような報道はなく、鉄道の存続そのものの課題になるのではないかと強い危機感を感じたものです。並行する道路の改良に対し、盛岡市として山田線の存続に最大の危機感をもって対応するべきだと思います。
これからの山田線の活性化については、従来の行政連絡会による企画調整だけではなく盛岡宮古両市それに県を巻き込んだ形での活性化協議会の設立の必要性ではないでしょうか、いかがでしょうか。
宮古市は震災復興の真っただ中であることを考えると盛岡市が軸となり設立をし盛岡市に事務局を作るのが妥当であると思います。
その中で、活性化に向けた具体策や国の支援策の誘導、三陸鉄道との長期的な連携、そして観光振興や利用誘導策の実施など予算と実態が伴う措置を講じ復興支援の鉄道による役割を明確化させることだと思いますが、ご見解をお聞かせ願います。
大志田浅岸駅についてお尋ねをいたします。
2013年1月1日より大志田駅と浅岸駅が冬季閉鎖となりました。
この2駅は通常の定期客はないということですが、駅周辺に集落は存在をしております。
駅の廃止の3段論法というものがあり、利用者がいないということで通年営業から季節営業に切り替わり、それを何年か経たのち、通常駅から臨時駅へ格下げ、そして廃止という流れであります。
私がこの2つの駅に着目をしているのは、代替道路未整備区間として山田線存続のカギの一つであるという点であります。
前述の只見線の場合、並行する道路はあるものの福島と新潟県境の国道は冬季閉鎖することから代替輸送はできないということで閑散線区でありながら公共性に着目をして廃止を免れた経緯があります。
両駅の活用については、沿線住民の利用喚起策ですが、それ以外に、例えば浅岸駅は映画のロケ地としても有名です。1944(昭和19)年に山田線で実際にあった転覆事故を題材とした映画「大いなる旅路」(1960年)で、三国連太郎らが登場。浅岸駅で実際に蒸気機関車を転覆させて撮影したロケ地としても記憶にあるところです。またスイッチバック式構内の遺構ものこっており、これらの資源や廃車になった気動車を留置したり、スイッチバックを観光的に復活し、そこでは、レールバイクによる森林浴、秘境駅としての知名度を生かす、辺地債の活用で公園として整備して観光客を誘致する手法は採用できないものでしょうか。
近郊自然散策路については、臨時停車をさせるなど鉄道利用と連動した利用誘導策、あるいは釜石線を走る蒸気機関車SL銀河号の山田線での運行を行いカラス列車復活というのも注目度があると思います。
岡山県は閑散線区の因美線は、鉄道そのものを資源として売りにする「みまさかスローライフ:因美線の旅」というパンフレットをつくっており、少しでも関心を高める施策を図っております。鉄道そのものが資源であるという認識で是非2駅に特化した活性化を検討頂きたく思います。
つづいて、バスについてお尋ねをいたします。
公共交通の地域独占の制度設計のなかには、黒字路線を持たせる代わりに、周辺部の赤字路線を運行していただく内部補助を採用しているのが日本の交通政策の特徴です。岩手県交通の黒字路線の松園線については、これまでもオムニバスタウン構想にもとづくバス専用レーンや支線バス運行など先進的とされる施策をおこなっており、路面電車化されたJR西日本の富山港線並みの輸送力があるとお聞きしているところです。
韓国や台湾では渋滞解消の切り札としてBRTシステムを導入して、快速性を高める施策を行っております。松園線などは、アジアで導入されている21世紀型のBRTシステムや優先信号機、利用者駐車場の導入は図れないものかをお聞かせ願います。先日ソウル市のBRTに乗車する機会がありました。バス専用駐車帯や急行バスと各駅停車のバスの追い越し、優先信号機などバス運用でありながら、IT技術を駆使した運用に感心をいたしました。
赤字路線への補填や中山間地の輸送などの維持は重要ですが、運輸事業者の収益源の強化から、交通政策推進を図ることも同時に必要なことと思いますがご見解をお聞かせ願います。
昨年12月に国道46号線西回りバイパスが開通をして盛岡駅等を発着する南行きの高速バスは経由地を盛岡ICから盛岡南ICに変更を行ったところです。
実際に利用をいたしますと駅西口を出発して比較的渋滞に巻き込まれずに高速道にのることが出来ました。
さて、マイカー抑制を政策課題とする盛岡市として是非高速バスとマイカーがパークアンドライドで乗り換えのできるバス停の整備をお願いしたいものです。
イメージとすれば、都南バスターミナルのような駐車場とバス停が併設をしているものです。過日岡山県の両備バスがインターチェンジに隣接して整備している岡山IC、山陽ICの駐車場、並びに市街地に整備している津山パーキングを見学してまいりました。
バス会社の経営ですが、どの駐車場も一杯の利用者であり5日までは無料、6日以降は有料というシステムを取っておりました。
実際に仙台から盛岡へ高速バスで移動する場合、休日では次の便まで待つなど高速バス利用のニーズは高いものがあると認識します。岩手県北バスでは、宮古から東京に行く高速バスを盛岡で停車をする際に営業所に車を止めることが出来るサービスを実施しております。
個別バス会社の施策だけではなく、マイカー抑制とバス利用促進という政策的な動機からの導入はできないものか、お尋ねをするものです。
つづいて、北海道新幹線開通とIGRいわて銀河鉄道の関連についてお尋ねをいたします。2016年3月予定で北海道新幹線開業の新函館北斗の開業が予定をされております。
これに伴い、在来線ならびにIGRいわて銀河鉄道線を走る寝台特急の廃止もしくは本数減の問題が表面化をいたしました。貨物列車の線路使用料は一応解決という形となりましたが、寝台特急の通行量収入も大きく、私は以前、IGRの2016年問題になると指摘をしましたが顕在化したことになります。
北海道新幹線のうち青函トンネルは新幹線と在来線が同一路線を走るために、総合的な検査及び試験の実施を行うとし、青函トンネルを含む津軽海峡線に列車を運行しない時間帯を拡大する必要があるため、平成26年10月~平成27年2月の寝台特急及び急行列車に運休をすると発表、本来12月から1月は繁忙期で臨時列車を運行する時期ですが、旅客流動とは逆行する形での寝台列車の運休措置に寝台列車廃止の試金石かとの議論を呼んでおります。
実際に、現行の列車の車齢を加味いたしますと、2016年まで持たせるような使用方法であるような使われ方をしていると感じております。これに対し岩手県などは寝台列車の存続を求める要望を提出しております。
仮に寝台特急の廃止となればIGRの経営にはどの程度の影響なのか、お聞かせ願います。
この項の最後に、市道津志田白沢線の現状と今後の延伸計画についてお尋ねをいたします。
市は、国の地方中枢拠点都市に応募し事業採択をされました。この役割は、圏域全体の経済成長の牽引や高次の都市機能の集積、生活関連サービスの向上であり地方中枢拠点都市を実現するものとして広域自治体連携を進める上で、都市機能の集積する地区への道路網整備は、最優先する課題ではないかと考えるものです。
岩手医科大学は、キャンパスの矢巾町への移転そして、県立療育センター及び盛岡となん支援学校の建物を敷地北側に整備することも決定をしております。高度な機能の集積には、まさに道路交通の整備は不可欠であります。
岩手医大へのアクセスについては、国道4号線を南下して矢巾口からの西進するアクセスおよび市道久保屋敷線を通る2路線がありますが、国道4号線の三本柳交差点から市道久保屋敷線口までは国道4号線を重複して通ります。三本柳交差点は、県下でも有数の混雑であるとされております。国道4号線を通るアクセスだけでよいのかについては早期に再点検をする必要があると認識をいたします。
そして何よりも矢巾町では、すでに津志田白沢線は完成し供用をしているということであります。市町境から矢巾町側が、完成をしており、盛岡市側が未完成であることは、広域連携における盛岡市の姿勢が如実に出ているのではないかと考えます。
加えて津志田白沢線については地元の協力の姿勢も高いことから、新盛岡市総合計画や盛岡市都市計画道路整備プログラムに津志田白沢線の未着工区間の建設を位置づけを図ったうえで、早期の完成に向けた環境整備を図って頂きたく思いますが、ご見解をお示し願います。
環境について、エネルギーシフトの考え方についてお尋ねをいたします。
日本は海外から化石燃料を年間26兆円あまり海外から購入しております。岩手県のGDPは国内の1%ですから単純計算で2600億円、盛岡市のGDPを県内の5分の1と試算すると520億円の資金がエネルギーの確保のために海外に流出しているという見方もできます。520億円という金額は、盛岡市の工業出荷額、あるいは盛岡市一般会計の約半分という金額であり、この520億円を海外ではなく、盛岡広域、県内で循環することで経済波及、雇用拡大ができないか、という提言がエネルギーシフトの考え方の一つです。
岩手県は地熱と水力で7割の発電量をしめるわけですが、電力自給率でみると25%であり、伝統的に電力を県外から購入している状況がつづいているところです。
国策で原子力や火力発電など大規模エネルギー供給基地から送電をして供給する政策をとってきましたが、3.11震災と原子力災害により、地産地消でエネルギーの確保、送電ロスの軽減を推進する動きが加速していると認識します。
ここでお尋ねをすることは、盛岡市の年間電力量使用量と市内にある水力発電や自然エネルギーを勘案すると電力の何%が地産でまかなわれているものでしょうか。
葛巻町は電力を166%まかなっており、余剰電力は電気代を下げる形で企業に供給し企業誘致につなげていくという町長の構想もお聞きしたところです。
秋田県にかほ市は、鳥海山の伏流水からなる東北一安価な工業用水を武器にTDKの企業城下町に発展をしております。企業負担の継続した経費を安価に継続して供給できれば数年で取りやめになる補助金とは違い、企業誘致の迫力が出るという意味で、盛岡市ももっとしたたかにエネルギーシフトを進め企業誘致やエネルギー自給を進めてほしいものです。
盛岡市の小水力発電、風力発電のポテンシャルはどの程度(kW)と試算されているものでしょうか。木質バイオマス発電の展開や玉山区天峰山の風力発電施設の稼働予定はどうでしょうか。今後の自然エネルギー・地場で確保できるエネルギー源の導入についてお知らせ願います。
国では今後寒冷地向け住宅の断熱性の性能を上げていく取り組みを義務化する方向とお聞きしておりますし、域内暖房や電力の見える化などITと省エネの技術の進歩も想定されます。
かつてはペレットストーブ導入が市の環境施策として答弁されたり、他の自治体を比較し導入の遅れた太陽光発電の補助金の取り組みなど及び腰の姿勢ではなく、化石燃料を使わないモデル地区の創設や電気の見える化を促進するスマートハウス事業など、住宅政策とエネルギーシフトを組み合わせることで世界に通じる先進的な取り組みと中小地場産業の振興の連携はできないものでしょうか。これらを含め、エネルギーシフトについて市長のご見解をお聞かせねがいます。
(盛岡市議会 9月議会一般質問 終わり)
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