2017年 3月 6日
盛岡市議会 3月議会
一般質問

 はじめにまちづくりについて、内丸官庁街団地の今後についてお尋ねをいたします。
 内丸官庁街団地の位置づけは「一団地の官公庁施設」として都市計画決定がされ、この都市計画施設は、今後も必要なものとして継続されるべきものとし、今後の経年変化による建替えに応じ各施設建物管理者と協議調整を図っていくとされております。
 昨年(2016)築 40年の盛岡中央消防署が消防無線デジタル化と敷地狭隘を理由として駅西口へ移転し、また、2011(平成 23)年には国の合同庁舎も同じく駅西口へ移転、古くは県立中央病院環境保健研究センターの移転があり、小出しではあるものの官庁の流失が発生したと感じております。
 確かに計画策定時の昭和 30年代と違いクルマの爆発的な普及と駐車場の確保、人口増加の時代背景で都市が膨張し、市自らが発展する軸を盛南地区とした時代背景から、内丸官庁街団地の結束は結果として崩れたと総括されるのではないでしょうか。
 この内丸官庁街団地は、岩手医大や盛岡市役所以外にも集中して建替えの時期を迎えていると認識します。 直接的な要因は岩手医大の矢巾移転により 20,000m2 の土地が放出されることが公表され、関心が内丸地区に向いたことではありますが、この地区の施設は見渡すとほとんどの建物が建て替えの時期です。 例をあげれば築 50年以上を経た施設をみると、岩手県庁が 50年、盛岡市役所が 53年、岩手県議会議員会館が 50年、国の合同庁舎が 54年、岩手医大病院が 57年、医大歯学部が 50年、東北銀行本店が 52年、岩手日報社が 53年、北日本銀行本店が 54年となっております。
 ちなみに築 40年程度でみると市役所の隣の県合同庁舎 46年、市役所内丸分庁舎で 38年、県民会館 42年、水産会館は 49年です。
 これとは別格ですが、保存が想定される施設として岩手県公会堂 88年、医大 1号館が 89年となっております。
 一斉に建て替え時期をむかえるということは再開発で街全体をよみがえらせる絶好の機会の到来と見ることができます。
 私が今取り上げた施設で医大を除き、官庁や社屋の建て替え計画を把握している施設はあるものでしょうか。 特に岩手県庁の建て替えはどうなっているのか確認をしたく思います。
 内丸官庁街一団地の施設を全部新築すると投資総額 1,000億円を超える工事費になるのではないか、と私は見ております。
 この「2030年代内丸官庁街一団地再開発 1,000億円プロジェクト」は、市の主要事業になる大きな事業です。 是非成功させ後世の高い評価を頂きたいものです。
 この再開発事業は、市民はもとより国内、国外からも助言や提言を頂き、地球規模での都市再生のモデルを作りたいものです。
 これらの事業を実施する以上は、中活以外のこの地域に特化した計画や審議会など特別に設置する必要があると思いますがどのような検討がされているものでしょうか。
 東京では六本木ヒルズ東京ミッドタウン、丸の内界隈など建物の再開発を行いながら、地域全体を再生で話題を作った先進事例があります。
 世界の都市でも米国ロサンゼルスのハリウッド地区、ドイツのハンブルクやミュンヘンは世界でも名だたる再開発により都市機能を再生させた都市です。
 英国でもロンドンがロンドン五輪を起爆剤として地域再生を果たしております。
 世界の都市再生は、その構想を完成の 20年前には公表して合意形成を始め成功させております。
 概ね 20年という時間が先進国におけるに再開発事業の目安とすると医大跡地の活用が現実化した以上、もっと盛岡市側から発議した形での内丸官庁街団地の構想を策定しかつ知らしめて行くべきと考えますが如何でしょうか。
 世界に評価される官庁街一団地再生とするために、早期に専門部署の立上げは当然として、都市整備部を内丸地区へ移動することや、世界的な都市再生を担った専門家との意見交換を行い、また、市長はじめ担当者による再開発を実施した先進地視察を行い、取組体制の強化や部内の機運醸成が必要だと思いますが、市長のご見解をお聞かせ願います。

 このプロジェクトを成功させるための内部の準備も必要です。 この計画を推進するのは現在の 30代40 代の職員です。 特に技術系職員を育成し、質を充実させることで盛岡市政 100年の大プロジェクトを乗り切る覚悟と準備が必要です。 また、市内建設業者に対しては、2030年代の再開発事業について広報を図りながら技術者確保の協力を要請する必要があると認識をいたしますがどうでしょうか。

 公民連携における資金調達についてお尋ねをいたします。
 公民連携による事業は、これからの大型公共事業においては検討が必須の事業であり、全国の自治体で採用されている事業手法の一つです。 盛岡市では PFI 事業では盛岡市火葬場盛岡中央消防署にて採用し、今後は新学校給食センターや新市営野球場にもその手法を広げるとしております。
 さて、内閣府の支援事業としてプラットホーム形成が進められておりますが、これだけの規模となると国の関心も大きくひきつけられるのではないかと感じます。
 内丸地区再開発において公民連携の手法の採用はどのような状況か、また是非採用を前提にした動きを始めて頂きたいと思いますが如何でしょうか。

 市庁舎建設基金の積立の現状についてお尋ねをいたします。
 新市役所建設においては現在年 2億円ずつ市庁舎建設基金の積立を行っており、2035年には 50億円の市庁舎建設基金の積立が出来ると先日の会派ヒヤリングにおいてお聞きをしたところです。
 ここで確認ですが、新市役所は 2035年にできると理解をして良いものかまず確認をしたく思います。
 2035年ですと 18年後ですが、建設の物理的な工事が 1年以上、引っ越し作業を考えると 2年程度かかると仮定すると2033年には設計が完了し、入札業者を決定し着工する必要があると認識をします。 設計にどれだけの時間を費やすのかはわかりませんが、数年の単位で基本設計や既存庁舎の整理統合計画、市民説明会の開催を考えると少なくとも 10年は要するのではないかと認識をします。
 つまり2020年代中盤には市役所の場所や大きさなど大まかな構想が完成している時期に来ていると認識をします。
 更に、構想を練るのには丁寧な合意形成を何度も行う必要があることから、まもなく構想を出す時期ではないか、と考えます。
 三月議会初日の市長挨拶では、新市役所については触れておりませんが今任期中に新市役所の構想を示すお気持ちはあるものかお聞かせ願います。
 ところで現段階で構想されている新市役所は規模や建設費はどの程度なのか、盛岡市内にあるビルで見るとどの程度の大きさのビルなものか、お示し願います。

 つづいて、都市戦略について、また戦略を達成するために事業を戦略事業と戦術事業に区分けして 20年以上の単位で進めていく政策実現手法のあり方についてお尋ねをいたします。
 市には都市戦略室がありますが、都市戦略とは何を意味し、かつ何年先の達成がその目標なのでしょうか。
 私が認識する都市戦略は数年では達成できずともこの方向性を堅持すれば、都市としての完成度や機能が向上できる施策であると考えます。 時間は 20~30年程度で達成すべき事業と考えております。

 一例をあげれば、日本の政策において景観政策が特に遅れていると申し上げてまいりました。 自分の家が街並みの一部を構成する意識が住民にも行政にも希薄であることが欧米との街並みや景観政策との大きな差であると申し上げてまいりました。
 都市の景観力を向上させるためには電線地中化などのインフラ整備や意匠やデザインの統一感を行政サイドで規制強化をかけて行うことは可能ですが、規制強化や補助金の交付によって達成される都市戦略ではなく、市民運動をおこすこと、つまり下からの機運の醸成、行政と住民の地道な連携とその施策展開で達成を加えることが都市戦略にできなかいか提案するものですがいかがでしょうか。

 例えば、市長就任以来、ハンギングバスケットを市内全域に展開をしております。 私は以前本会議場において景観政策の呼び水としてハンギングバスケットを位置づけできないかという趣旨の質問を行いました。
 住宅街を絵葉書にできる街並みづくりを都市戦略として位置付け → 戦術事業としてハンギングバスケットを位置づけ公共空間における景観向上の機運を高める素材とし → 公共空間から個人住宅におけるハンギングバスケット設置や個人の庭における花壇や生け垣の整備などへ発展させ → 景観は住民全体で高めるという機運を醸成し → 教育の場において都市景観向上のための授業を行い → バスケットのない冬場においてはフラッグ(旗)や LED 電飾で一年中景観に関心を持って頂きながら街並みを明るくし → 住宅の新築や改築には都市デザインや景観を意識した建築物とし → 都市景観賞は個々の建物ではなく街並みや地域あげての景観向上の取組を受賞基準とし → 市広報板や案内板なども統一感をだし → 町内会へ思い切った助成を図り、勉強会や海外など先進地視察を波状的に展開し → NPO の育成や大学教授の景観分野専門の学識者の招聘を図り → 地域総出の景観向上運動を文化として定着させ → 住宅街を絵葉書にできる街並づくりを達成する方法です。 この事業の展開には、市内部における人材の育成と継続した取組とあわせて行う必要があります。
 総合計画でみられる短期的な視点を排した成長管理戦略がものをいうものと認識をいたします。

 戦略にもとづき個々の戦術事業を展開する考え方は、スポーツ界で採用されております。
 つまりメダルの数と色を先に決定して、そこから必要な事業を逆算して展開していくというやり方で結果を出しております。 既存の選手の体力にあわせて徐々にメダルをとれればよい発想ではなく、最初からメダルの色と数があり、そこを出発点に事業を展開する方法です。 私が提案している都市戦略像はこの考え方になります。

 この長期的構想=つまり都市戦略の明確化と手段をはっきりさせたうえで市の事業を戦略事業と戦術事業に振分けることが必要ではないでしょうか。
 総合計画の数値目標では短期的すぎるのと現状をなぞっているような感じをうけます。 市の事業を戦略事業と戦術事業に振り分けることについてご見解もお聞かせ願います。

 つづいて交通政策についてお尋ねをいたします。
 この 4月 1日は国鉄が分割民営化され 30年目の節目を迎えます。
 30年という時間は政策の結果がはっきり出たとみるのにふさわしい年月であると認識をいたします。 特に運輸行政や学識者による国鉄改革の総括をして頂きたく思っております。
 民営化でよかった点があると私は思っております。 消費税を除き運賃値上げがなかったことや、厳しいとされていた JR 九州が株式上場を果たし、政府による特殊会社から民間会社へ移行しました。 関係者の努力に敬意を申し上げたく思います。
 他方、民間会社であるということにより、特に地方交通線を抱える自治体にとっては大都市圏や新幹線の利益の内部補助による枠組みで運営される仕組みが果たして地方の鉄道政策にとってどのような現状にあるのか、総括を行う必要があると認識をしております。
 国鉄分割民営化時、「鉄路は維持する、長距離列車はなくならない、会社を跨いでも割高にならない」と新聞広告に載せておりましたが、現実はどうでしょうか。 盲腸線の廃止、並行在来線の経営分離、JR 北海道では路線の半分が廃止の危機となっており、自然災害を受けたローカル線は廃止という言葉と使っていないものの鉄道による運行ではなくなっております。
 長距離列車については、寝台特急はとっくに全廃されております。
 会社を跨いでも割高にならないとうたっておりましたが、昨年開業した北海道新幹線の特急料金は通算料金ではなく新青森で別計算の特急料金とされたことにより東海道山陽新幹線にくらべ同じ距離で 1.6倍もの割高な特急料金となりました。 北海道新幹線開業前の公聴会では公聴人全員がこの課金システムに反対という事態があったほどです。
 他方、運輸行政は交通権・移動権の保障の行動を起こすことなく静観の姿勢をとっている危機的状況です。

 市長は国鉄民営化 30年についてどのようにお考えか、特に地方交通線の維持存続や盛岡市の交通政策推進においてどのように国鉄改革を見ているのか、特に国の地方運輸政策を含めてご所見をお聞かせ願います。
 昨年民間会社へ移行した JR 九州の会長がローカル線の維持は難しいと発言したことに危機感をもった宮崎県の日南市や小林市は JR 九州の株式を購入し株主として鉄道を守っていく姿勢を即座に示しました。
 私は以前本会議場において盛岡市は JR 東日本の株式を購入し、株主として交通政策を提言するべき、JR 東日本の沿線自治体と一緒に共同購入することにより、新駅設置促進やローカル線の維持や在来線の利便性向上に対し共通して取りくみ JR 東日本の経営に対する発言力を向上させていくべきと提案をしました。 是非採用頂きたく再度提案をいたしますがどうでしょうか。

 2011(平成 23)年 7月新潟・福島県を襲った集中豪雨により JR 只見線の会津川口と只見間が壊滅的な被害を受けており、現在でも復旧出来ずにおります。
 結局は、地元自治体からの負担をともない鉄路による復旧となるようですが、ローカル線がある盛岡市として只見線の被災と復旧における過程をよく分析しておく必要があると認識をいたします。
 特に山田線では現在でも土砂災害でも運休をしており 106急行バスで多客期をバス輸送で乗り越えている「実績」がありますし2020年には宮古盛岡高規格道路が完成をしてまいります。
 自然災害の規模によっては自治体負担や廃止の宣告があるものと厳しい認識で捉える必要があると思いますが、ご見解をお聞かせ願います。
 早急に活性化協議会を県や宮古市、三陸鉄道と立上げ観光列車の運行や利用促進における施策を展開して国の補助も頂きながら、山田線の復旧後の目に見える活性化策を展開すべきですがいかがでしょうか。 あわせて花輪線についての活性化についても同様の枠組みでできないか、お尋ねをいたします。

 ゴルフカートによるちょい乗りの社会実験が石川県輪島市などで実施されております。 短距離の利用や狭隘道路への進入で効果を発揮するようです。
 バス停や駅に配置をしておき NPO や自治会の運営で既存交通網へ接続する仕組みができないものか、社会実験はできないものかお尋ねをいたします。
 平成 29年度当初予算では田沢湖線の新駅関連の予算が計上されました。 その内容、新駅設置の場所や開業年月日をお知らせください。
 また、道明地区の土地利用の推進にとって東北線の新駅設置は有効であると考えます。 また先日、新産業等用地としてこの地区が新たに開発され産業振興の要の地区となる構想が示されたところです。 新駅設置の費用は、固定資産税の増収で賄えるという社会的便益を試算し、かつ企業誘致の立場から早期の総合計画への格上げと着工に向かってほしいのですがいかがでしょうか。
 川崎市にある小田栄駅は JR 東日本の戦略的新駅として位置付けられ複線区間でありながら 5億 5,000万円でしかも半年で開業をしました。 通常複線区間の新駅は 20億円かかるのですが、この事例を参考に安価な新駅を導入されたく思いますがいかがでしょうか。

 農業と林業についてお尋ねをいたします。
 昨年 4月農地法が改正され農地法の許認可権が国から都道府県に委譲されました。 ここには、市町村が希望し国が認めれば市にその権限の移譲が出来るという項目があります。
 市街化調整区域内における農地の関連事務は農業委員会で行うわけですが、迅速な意思決定ができると市の実情にあった形で時間をかけずに主体的に事業が展開できる利点があります。 この点について盛岡市ではどのような姿勢であるのか、意思決定における迅速性は必要と思いますが如何でしょうか。

 林業の活性化についてお尋ねをいたします。
 まず、はじめに、全国植樹祭の盛岡招致についてお尋ねをいたします。
 全国植樹祭は国土緑化運動の中心的行事として毎年春に国土緑化推進機構と開催県の共催により開催されております。 天皇皇后両陛下のご臨席を頂きお手植えや各種表彰、記念植樹が開催されるほか、環境啓発活動や林業振興に期する活動が行われているものです。 1950年(昭和 25)年に山梨県で開催され毎年都道府県持ち回りで開催をされております。 岩手県では岩手国体開催の 4年後の1974(昭和 49)年に開催をされております。 この全国植樹祭は1994(平成 6)年からは 2順目開催となっており、すでに 24の県で 2巡目の全国植樹祭を実施済です。
 昨年、希望郷岩手国体岩手大会を終えたところであり、落ち着きを見せたところでありますが、全国植樹祭の岩手県での開催予定はあるものでしょうか。
 無いようでしたら盛岡市から積極的に働きかけ盛岡市に主会場の誘致を図ってほしく思います。
 その際、新市営野球場の「こけら落とし」として全国植樹祭の開会式が出来ないものかをお尋ねをいたします。

 つづいて CLT 材についてお尋ねをいたします。 CLT とはクロス・ラミネーテッド、テンバーの略で板を直交するように積層接着した厚型パネルです。 木材では従来建築できなかった高層建築物への利用ができるものです。 ヨーロッパでは木造高層ビルが各地に立ち始めており、日本においても鉄筋コンクリートに代わって建築材として活用が期待されております。
 盛岡市や広域自治体において CLT 材の生産を出来る体制を作って頂いたいのですが、如何でしょうか。 また CLT 材の導入を盛岡市の公共施設において図れないものかお尋ねをいたします。

 市長挨拶では市産材を活用するとあります、公共建築物での展開を期待したく思います。 今後の具体的な予定はどうでしょうか。 この場合、市有施設の大規模改修の際に内装などに市産材が活用されると理解してよいものでしょうか。
 また民間住宅への普及についてですが、仮に 100%市産材を活用した場合、既存住宅に比べどの程度の差が生じるものでしょうか。 あわせて、普及の間、差額を支援する策が展開できるのかを含め民間住宅施策における市産材活用の具体策についてお尋ねをいたします。

(盛岡市議会 2017年 3月議会一般質問 終わり)

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